高倉健 その魅力
高倉健 その魅力
高倉健 その魅力
高倉健 その魅力

邦画の名作

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週末見たい映画

俳優高倉健

俳優として

健さんの前では、みなが直立不動になってしまいたくなるようなオーラを放っている大スターですが、その人物像はどのような方なのでしょう。

古き良き時代の映画

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人柄

あれだけの大スターでありながら、義理がたくて、人情が厚く。そして筋を通す人です。とても礼儀正しい人物として知られていて、すべての共演者に挨拶を忘れずに、監督やプロデューサーだけではなく、若い新人俳優やスタッフにも必ず立ち上がって丁寧にお辞儀して敬意を払います。

千葉真一は高倉健さんを “ 一生あこがれの存在で永遠の師匠 ” と公言しています。千葉真一は「デビューして間もない頃に、健さんが食事によく連れて行ってくれた。また、学生服しか持っておらず、取材向きの洋服がない時に健さんからスーツをもらった」「(千葉真一自身が)役者として少し売れてきた後でも自分の撮影がない時には、健さんの付き人をしていた」「離婚した時には健さんから手紙で励まされ、それが心の支えになった」「東映の労働組合委員長と撮影進行で衝突して、映画界を辞めようと思った時に、健さんが思いとどまらせ、一緒に謝ってくれた」などなど、「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった」と語っています。

他の方々も役者としてそして人間として尊敬している人たちは多く、『幸福の黄色いハンカチ』で共演した武田鉄矢は、現場で高倉健さんを発見すると、100メートルほど離れた所からでも「健さーん!」と叫びながら手を振って、全力疾走で走ってきたといいます。石倉三郎、小林稔侍、板東英二などからもこよなく慕われていて、石倉は芸名に「倉」の字をもらって、小林稔侍も息子の名前に「健」を付けています。

気持ちの通じ合った共演者には、ブライトリング・ロレックス・ヴァシュロン・コンスタンタンといった腕時計を感謝を表す言葉と「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣があって、千葉真一、田中邦衛、渡瀬恒彦、板東英二、宇崎竜童、ビートたけしが貰っています。田中邦衛も高倉健さんをこよなく尊敬していて、出かける際にはその時計を身に付けています。『あなたへ』で共演した岡村隆史は撮影現場での取材中に、岡村隆史が一時自分が仕事をお休みしていたときに健さんから手紙を受け取った話などをしていたときに「岡村! 嘘ばっか言ってんじゃないよ(笑)!」と近寄ってきた高倉健さんから「忘れもんだよ」と自身の私物のポルシェ911のキャップ(帽子)にオリジナルのバッジが添えられた物を、プレゼントしています。

『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラスは、大阪京橋の野外シーンロケの時に、日本人のファンが高倉健さんに憧れて尊敬しながら接している姿を目撃しました。その様子を見たマイケル・ダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていたそうです。

『君よ憤怒の河を渉れ』が中華人民共和国に輸入されたときには、中国人の半分が観たともいわれていて、映画の宣伝のために田中邦衛と訪中した時には、宿泊先のホテルには高倉健を一目見たいというファンが大勢詰め掛けました。高倉健のファンでもある映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は『単騎、千里を走る。』の撮影の際に、高倉健が休憩の時に椅子に一切座らずに、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言しています。中国では、大物俳優は現場でも威張り散らしているのがほとんどなだけに、健さんの姿を見て感銘を受けて当然なのかもしれません。

『夜叉』で共演したビートたけしは撮影中のエピソードとして、真冬の福井ロケのある日のこと、健さんは自分の撮影がなくオフだったにもかかわらずに、ロケ現場へ激励に現れました。厳しい寒さの中で、出演者とスタッフは焚火にあたっていましたが、健さんは全く焚火にあたろうとしません。スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めるのですが、健さんは「自分はオフで勝手に来た身なので。自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えたといいます。

健さんが焚き火にあたることはなかったので、スタッフだけでなく、共演者の誰一人もが申し訳なく感じて、焚火にあたれなかったと発言しています。そのうち「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれて、健さんは「じゃあ、あたらせていただきます」となって、やっと皆で焚火にあたることができたとエピソードを話しました。

撮影の初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着して、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけに、皆とは違った「ふぐ刺し」が並んでいました。これを見た健さん「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮して一切手をつけなかったといいます。突然の事だったので、ふぐ刺しの数も揃わないこともあって、高倉と監督以外は「カワハギの薄造り」で急場をしのいで、どうにか事なきを得たといいます。

1984年(昭和59年)の日本生命のCMで「自分、不器用ですから」の台詞で無骨で無口なイメージがありますが、実際の健さんは話し好きでいたずら好き。そして冗談を交えながら共演者やスタッフを和ませているといいます。またロケ先では周辺を散策して、地元の住民たちとの交流も欠かすことはありません。

ビートたけしはもともと漫才師でした。漫才師でしたが役者業へと進出してきたビートたけしに対抗して、田中邦衛と組んで漫才界に進出しようという話題になったことがあって、田中邦衛は「止めといたほうがいい」と制止したそうです。そこで高倉健さんが「それじゃお前は何をやるんだ?」と言うと、田中邦衛は「二種免許取ります」と返答したといいます。たけしは高倉と田中がタクシーの運転手になる可能性を、真剣に検討していることに大ウケしました。

昼間に高倉健とビートたけしが車に同乗して移動していた時に、渋谷駅ハチ公改札前近くのスクランブル交差点で信号待ちの為に停車したところ、健さんは窓を開けていきなり「おーい、高倉ー!」と大声で何度も車外へ叫び続けて、信号が変わって車が走り出すとようやく窓を閉めて元に戻り「いやあ、こんなに沢山の人が通っているのに、誰も気が付かないもんなんだなあ、俺がここに居るって」と独りで喜んでいました。高倉健とビートたけしが、一緒に車に同乗していることを多数の一般人に知れてしまうと、野次馬で混乱が発生する危険性が容易に予想されたにも拘らず、大都会での他人に対する無関心を逆手にとって面白がっていたとたけしが語っています。

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撮影現場で

撮影現場で一切座らないということについて「疲れますよ、やっぱり。ただ、座ると何となくもう・・・。だんだん精神的にファイトが無くなるような気がして、立っていたほうがいいなと・・・」と自分に課した事のひとつである事を明かしています。そのほかにも「スタッフさんとか一生懸命働いている姿をみると、その場に自分もいたくなる」とも話をしています。その一方で「たけちゃんがあっちこっちで『座らない』『火に近づかない』なんて言うもんだから、おいそれと出来なくなった」と冗談にして答えています。

「撮影現場でも座りますよ」とも語っていますが、それはあくまで「座っている場面を演じている時に……」座るということです。何よりも「現場に居てこそ感じられる事がある。その場の景色や空気、スタッフの努力など、見ていて鳥肌が立つ思いの時がある。だからこそここに居たい」「自分よりもお金を貰っていない人たちのほうがはるかに頑張っている。現場はそうした人たちによって成り立っている。そんなことに気づくまで何十年もかかった」と、出番以外も常に現場に立ち続ける事への思いを語っています。

『あなたへ』の撮影では、相田みつをの詩や会津八一の短歌などと一緒に、雑誌に掲載されていたという東日本大震災の被災地での1コマを撮影した写真も一緒に貼りつけて持ち歩いていました。山本周五郎の著作のフレーズや、主人公の生き方について書かれた木村久邇典の『男としての人生 - 山本周五郎のヒーローたち 』もお気に入りの1冊として持ち歩いています。長期間の撮影の中では、ベテランの高倉でも感情のコントロールが出来ない時があるので、そうしたときは常に持っているこうした物にすがっているといます。台本だけでなく、自宅の洗面所などにもこうしたものが貼っていて、常に自分自身の気持ちを盛り上げています。この事について「俳優ってそれほど頼りないものなんですよ」と語っています。